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2010年 11月 10日
マレーシア華僑である夫と結婚したころ、マレーシアに行くたびになんとなくストレスを感じていた。それはやはり夫の家族と接しているからだろうと高をくくっていたのだが青島に引っ越した後も妙な違和感やストレスがあった。それがなぜなのか随分ながいこと思い当たらなかったのだけれどあるときふと、ひらめいた。
日本語の私がいて、英語の私と言うものもだいぶ出来ている。しかるに英語の私と言うのは西洋社会で暮らす中で培われてきた。ところがマレーシアや青島では日常のコミュニケーションは英語でありながら物事の価値基準は東洋、というところでひずみが生じるのである。 誰にむかってどんな風にものを言うか。常に意識していなくても話している言葉でどうも左右されるところがある。英語でも日本語でも同じ意見であってもその出し方が違ったり思っても出さなかったり。でも思ったことをどんな風に口に出すか、と言うのは言葉だけでなくて社会的環境にも影響されるらしい。例えばいままでの英語の私ではマレーシア華僑の義理の両親と上手く対応できないのである。 それに気づいてから英語だけど東洋人の私、と言うことを考えてみるようになった。そうなったらだんだん暮らしが楽になったのである。違う仮面をとっかえひっかえかぶっているような気がしないこともないではないが、どれも私、と思うようにしている。
by lionmidori
| 2010-11-10 23:46
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