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2006年 08月 18日
日本にいるときの『8月15日』や『戦争』はどこか自分とかけ離れたことだった。いつの間にか、たとえ密接にではなくても自分と確かにかかわりのある出来事だったのだと思うようになった。
初めてマレーシアに行ったときも、青島に住む事がきまった時も、不安が心をよぎった。『君個人が何かしたことではないのだから、それとこれとは別!』マレーシア人の友人達は私が気にしすぎるといって笑う。 でも、義父の年代の人は大抵、日本語を少し知っている。それは、強制的に覚えさせられたから。オットの祖母からは戦時中、シンガポールから無蓋列車で強制的にマレーシアまで連れ戻された時の体験談を聞かされた。それは、本で読む、引き上げの際に使われた列車の条件よりひどいのではないかと思われた。だいたい、義母の家族は英語の名字だったのだが、戦争中に名を変えたのだ。日本軍に目をつけられないように。 去年になってから、オットの祖母の従妹のそのまた娘さんから初めて聞いた。私とオットの結婚披露宴のとき、日本人なんかと同じテーブルに座りたくない、といっていた親戚もいたということを。 青島滞在中、大学の旅行で南京に行った。同じクラスにいた70代の韓国人男性がじっと私を見て、『日本人が、ここで何をしたか知っていますか?』と問うた。 イギリス人の友人で、日本人と結婚した人がいる。彼女のご両親の近所に戦争捕虜だった人とその奥さんがいて、もう口もきいてもらえなくなったという。 歴史の時間に戦争のことを学ぶ時、片親が日本人の子供はいったいどう思うのか、と心配しているお母さんたちが身近にいる。 個人的な憎しみからは守られてきたけれど、戦争の傷跡はまだまだあちこちに残っている。そうして、それが私とも確かに、どこかで、かかわりあっているのだと思うと、身が引き締まる。
by lionmidori
| 2006-08-18 08:55
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