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2010年 04月 01日
ジャパンという横文字はマルコ・ポーロの見聞録にあるジパングから来たのであろうと漠然と思っていた。日本を離れて20年余。特に誰かに訊かれた覚えもなかったのだがここにきて『なぜ日本からJapanになったのか』と質問された。それも曲がりなりにも『日本語の先生』をやっているときに。考えてみればどうしてマルコ・ポーロが日本をジパングとよんだのか。それだって不思議だ。
と言うわけで我が家での通称ミスター・ジーことグーグルで検索したところ、学術的見解にはなかなか行き当たらない。これはたぶん検索のキーワードの選択が良くないためであろうと思われる。大方は『日本』の中国語読みから来たのであろうと言うことであったが北京語ではジーベンだからたとえマルコ・ポーロの耳が悪かったとしてもちょっと腑に落ちないという意見が多々見られた。 北京語だってマルコ・ポーロのころからは発音が変わっているだろうし、とriben・ジーベン・riben・ジーベンと唱えつつさらに検索。ジパングにつながらないこともないか?とも思うけれど、Zipanguとはちょっと違う。広東語のヤップンからではないか、と言う意見も見られたが、少ない選択肢の中で私が気に入っているのは『中国語のJih-punから来た』と言う説。この伝でいくとマラッカが重要な位置を占める。 マラッカは海上交易で栄え、ペナンと同じく古くから華僑の商人が移り住んだため華僑とマレーの文化が入り混じった独特の文化を持つ、と言うことはマレーシア人と結婚して初めて知った。義母がペナンの出身だったためついでに知ったのはこの華僑たちは福建語を話す人たちだと言うこと。『日本』という漢字を福建語でよむとJih-punとなる。 マラッカはポルトガル人も宣教運動の拠点にしていたところだし、海峡を越えればこれまた海上交易に力を入れていたオランダ領のインドネシア。こうして福建語のJih-punが書き記されていくうちにJapanになったとしたら広東語や北京語よりもずっと納得がいく。 Japanの由来、ご存知の方がいらしたらどうぞご一報ください。 ちなみに私の検索結果の中で一番読んで面白かったのが I.Nishidaという方の.pdfファイル。2003年に作成されたものでファイルだけが引っかかったのでどこのどういう方なのかはちょっと調べられなかったのが残念。 ファイルのリンクはこちら
by lionmidori
| 2010-04-01 16:25
| 日記
|
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Comments(9)
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わ~、おもしろいですね!マルコ・ポーロがジパングと呼んでいたと教えられて、はい、さいですか。とスルーした私。どの時期のどういう言葉から来たなんて全然考えたことなかったです。(だいたい現在の中国語で日本のことを何というかも知らなかったりするので…。^^;)
NishidaさんのPDFファイルももうちょっと時間のあるときに読んでみたいと思います。
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Kodamaさん
いやあ、私もね、ジパングだからジャパンと言われて何の疑問も持ってなかったんです。でもどうしてジパングだと思ったのか?とかジパングからJapanになったのか?と聞かれてみれば確かにちょっとはてな?と思って調べてみたら色々気になり始めたと言うところです。 北京官話(Mandarin)で日本のことをなんていうかなんて、知らない人のほうが多いのではないでしょうか。 でも、こういうことが気になりだしたらどうして中国がChinaなのかとかそれぞれの国の言語での国の名前と英語(国際基準)での表記の差はどこからくるのか、誰がきめるのか、なんだか色々気になり始めました。
らいおんみどりさん、こんにちは。ちょっとお疲れ? 私はこちらですよ。
↑のjohnnycakeさんに同じく、マルコ・ポーロ説に何の疑問ももっていなかったのですが、らいおんみどりさんに刺激されて、しばしネット上をさまよってしまいました。いろんな説があるんですね。 らいおんみどりさんのJih-pun説、なかなか引き込まれました。まさにらいおんみどり家には、「Japan」に至る要素がすべてそろっているんじゃありませんか! 授業では、胸を張って解説してくださいね。 ちなみに、Nishidaさんは、どうやら塾の先生のようですよ。 http://www001.upp.so-net.ne.jp/richmond/ 「福建語でなんと読むか知りたい」とありますから >『日本』という漢字を福建語でよむとJih-punとなる ことを伝えられたら、きっと「思ったとおり」と喜ばれるでしょうね♪
Kodamaさん
ひゃ~すみません!(Johnnycakeさんにもあやまらねば)なぜ間違えたのかちょっと謎ですがねじがゆるんでたかな~。配線が間違ってたんでしょう。 Nishidaさんの記事、何年か前のもので既にご存知かな、とも思ったんですがお知らせしてみようとおもいます。なかなかいい記事ですよね。
Johnnycakeさん
まっこと申し訳ありませんでした。いや~どうしてこんなまちがいをしたのかしらん。頭の中ではJohnnycakeさんにコメントを返しているつもりだったんですけれど。本当にごめんなさい!
西田巌と申します。偶然に当ブログ("I spy with my little eye ...")を知り、また、小生のエッセイ(「日本」がどうして「Japan」 - そのルーツ調べ)をお読みいただいた方がおられるのを知りうれしくなりました。
福建語で は「日本」Jih-pun と読むのですね。「Japan」の語源調べでいまだ知りたいことは、マルコポーロが滞在していた時代の蒙古語で「日本」をどのように発音していたのか、それと、ユーラシア大陸の西端から東端の中国まで大旅行をしたマルコポーロが、なぜもう少し足を延ばして黄金の国「日本」まで来なかったのでしようか。(マルコのような商人ならば大きな興味を持っていたはずです。)ご感想でもOKですのでご教示いただければ幸いです。 サラリーマンを卒業した後、千葉県の自宅で英語教室をやりながら、以前から関心を持っていた、「日本における英語史、英語教育史」を勉強しております。 海外にご滞在のこと、お体には十分にご自愛ください。 =以上=
西田さん
コメントどうもありがとうございました。上記Kodamaさんのおかげでそうか、とウェブサイトのアドレスに気がついたのですがそのままになっておりました。 蒙古語、知っている人に出会ったら聞いてみますね。マンチェスターは留学生も多いので案外モンゴル出身の人でそういうことを知っている人にであるかもしれません。 ちなみに福建語のjih-punですが現代の福建語の発音です。 マルコ・ポーロがなぜ日本まで足を伸ばさなかったのか、それはいろいろ彼にも事情があったんでしょうが、中国から日本は案外近くて遠かったのではないでしょうか。青島に滞在していた折、下関までだか下関からだか船でわたった日本人の方が海の荒れようは生半可ではなかった、とぼやいていらっしゃいました。その方がおっしゃるには『玄界灘を超えるのがこんなに大変だとは思わなかった。20世紀の大きな汽船でもこれだけ揺れるのだから思えば鑑真和尚もよくわたったものだ』とおっしゃった口ぶりが印象に残っています。 ![]()
中国語の方言を勉強したことがあります。マルコ・ポーロがいた福建省泉州の方言では、日本国のことをジップンゴと読みます。
みんとさん
そうなんですか。マルコポーロは福建省にいたのですか。それなら福建語から来たのでしょうね。どうもありがとう
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